はいからの空に

日々の暮らしをちょっと良くするサイトです

はじめて心療内科にかかった時の悔しさと虚しさ

私の足ははたと止まった。
いつもの時間、いつもの電車、いつもの改札口。
改札の向こう側とこちら側。

足が止まったのは、恐らく、改札を超えてしまえばいつものようにやり遂げるから。
ダラダラするだけの休日なのに、遊びの誘いに乗るのはひどく面倒で、でも実際に遊んでしまえば楽しい。
それをネガティブにしたような。
すごく嫌な平日だけど、何も考えず通勤時間をただ処理して歩く。だが職場はひどく息苦しくて、辛い。



はじめての感覚だった。
そう書くとまるで素晴らしい体験をして知見が広がったとか、世界が一変したような印象を受けるけども実際にはずっと残酷だったし、何より無感情であった。
足が動かない。改札を越えられない。
その時の頭の中身は、「嫌だ!行きたくない!」ではなく「もう打つ手がない」「環境は変えられない」「好転するビジョンが何も見えない」だったように思う。
もう手詰まりだった。やれる事はやった。打つ手はない。
職場に体調が悪いと「嘘をつき」、普段とは違う家に戻る方向の電車に乗る。
こんな事は一度もなかった。異常だと思った。こんな事はおかしいと。
地元の心療内科を調べてその足ですぐに向かう。



心療内科に「なんか」かかりたくなかった。
世間はいくらか精神疾患に寛容になったとは思う。ADHDや鬱病、新型うつをメディアを取り上げる。
それでもどこか、私達の若い頃は~といった論調はあって、そういった精神疾患にかかる人は精神的に未熟であったり、打たれ弱い軟弱であって、弱さに瑕疵がある。そんな考え。

そして、いわば精神的に未熟であったり、異常者が集う場所が心療内科であったり、精神科である。
・・・とは全く考えていなかったが、後日、僕は気の置けない仲間に相談をする際に「心療内科に掛かったと伝えることは、まるで自分は頭が可笑しい人間です言うよう」そんな事を独白した、気がする。あるいはそれは、五月蝿い頭の中での話かもしれない。
侮蔑や貶める意図は全くないが、「体調が悪くて内科で抗生物質を貰ったよ」と伝えるより、「体調が悪くて心療内科で向精神薬を貰ったよ」と伝える方が勇気がいるし、可能であれば伝えたくないと多くの人が思う・・・と自分は考えている。勿論、全員には当てはまらない。



心療内科の中に入って、少し吃驚した。
病院は通常清潔であるけども、それに加えて「上品だな」と感じた。明るい配色だけど落ち着くような室内の色合い。ゆったりとした大きめのソファ。各々のソファにテーブルまで備え付けられている。
何よりも患者だ。
メディアで取り上げられた際に、私がよく認識した精神的な異常は「鬱病」もしくは「更年期障害」だった。
そのせいで心療内科には女性が多いものと思い込んでいた。
実際は違った。
学生であろう女性、20代のスーツ姿の男性、定年は迎えたであろう老夫婦。
普通に見える。
心理的なハンディキャップを抱えた人達には見えない。



嫌なことを思い出してきたので今日はここまで。
続きはそのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。